走り屋のメッカ・旧大川峠探索。
和歌山県は加太にあります旧大川峠。
すぐそばの恐竜公園の四国山展望台に登った時、当時プロアームのNSRに乗っていたというおじさんに当時の様子を聞かせていただきました。
現在の大川トンネルが出来る以前、タイトなヘアピンコーナーと勾配が続くことからクルマ・バイク問わず関西屈指の走り屋が集まる場所となっていたそうです。(私が生まれる随分前のお話…)
和歌山方面側・旧大川峠入口。
暴走行為が繰り返えされたお陰で道路はボコボコ&事故多発になっていたようで、そんな状況を和歌山県警が放置するワケもなく、新トンネルが建造された後の2000年代半ばに大川峠は自動車通行止めとなってしまいました。大阪方面側・旧大川峠入口。
自転車・歩行者専用道路となった旧大川峠。
このまま朽ちて行くのかと思いきや、何と今年の5月頃に自転車レーンとしてアスファルト等が再整備されました。
今回はそんな旧大川峠の現役時代の痕跡を探りながら徒歩で探索していきたいと思います。
加太の駐車場にバイクを止めて和歌山側から散策開始。
すぐそこの休暇村に登る坂並みに激しいコーナー&勾配です。
これは攻めたくなる気持ちも十分分かります。
必死に走り屋時代の痕跡を探してみます。
マツダロゴの入ったホイールキャップ。
この日の気温は35℃。
汗だくになりながらゴールを目指します…。
当時は30キロ道路だったことが判明。
カーブを曲がり切れずに刺さった痕跡があちらこちらに…
2代目ダイハツ・ミラのグリルを発見。
何やら建物が見えてきました。
ここにはかつて大川遊園という有料公園?と潮騒(しおさい)というレストランがあったようです。
道路整備においても取り壊されず放置されたままですね。
まずは大川遊園から失礼…。
といってもあるのは料金所跡と遊具だけ。
当時は多くの原付もこの峠を通ったことだろう。
今回はジャングルジムしか発見できず。
しかしこれだけで有料だったとは…
当時は他にも何か設備があったのでしょうか。
遊具から先をひたすら下ると海に出る。
これは当時物のゴミだろう。
山道を必死に下りようやく海に…。
真正面には地ノ島。
息を切らして降りてきた甲斐がありました。
元来た道をこれまた必死に登ってようやく入り口へ…。
おそらく大川遊園の管理車両だったものでしょう。
入り口に戻って御食事処・潮騒も探索。
内部はDQNによってかなり荒らされていた。
こちらは別館だった模様。
廃墟で怖い話を読む……。
本館へ移動。こちらは締め切られておりかなり暗い。
しかし一部は完全に屋根が無くなっており倒壊が進んでいる。
営業当時はどんな料理が提供されていたのだろう。
加太で捕れた新鮮な魚介類を使った料理が振舞われていたのでしょうか…。
カレンダーの日付は2000年8月で止まっていた。
峠が封鎖される以前に廃業していたようだ。
楽しかったあの頃の思い出…。
長居は無用なので足早に退散。
残りの道のりを進んでいきます。
この道やたらとホイールキャップが落ちています。
あれはスリックタイヤ…??
最後のストレートに到達。
大阪方面側の入口に到着。
ここからトンネルに戻って今回の探索は終了。
今回の探索でボコボコになったガードレールや捨てられたタイヤ・ホイールキャップ・グリル等から確かに走り屋全盛期当時の様子を伺う事が出来ました。
180SXやらシビック。NSRやTZRがバリバリ現役だったこの峠の黄金時代を是非とも観てみたかったですね。
スポーツカー・バイクブームが到来したことで各メーカー挙ってアッチアチの車を開発し、人々がモータースポーツに熱狂していたあの頃だからこそ、この峠は走り屋のメッカとも呼ばれるほど賑わったのかもしれません。
今のクルマ・バイクは猫も杓子もやれエコだの燃費だので、スポーツカー・高回転型エンジンの時代では無いですし、旧車の値段も上がる一方なのでこうした峠が賑わう事は一部マニアを除けばもう無いのかもしれませんね。
というわけで旧大川峠探索でした。
夏場訪れる際は飲み物とタオル・着替えの準備をお忘れなく…
★おまけ★
大川峠廃道区間 動画ver.(音量にご注意)
元ネタ…